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合唱祭・コンクール

東京カンタート2005

2005年(平成17年)4月29日 第一生命ホール

演奏曲:「若い日の歌」「海の若者」「鳥が」「空の向こうがわ」

この催しは、合唱人集団「音楽樹」が主催するもので、10回目となるこのイベントに職場の合唱団が参加するのは初めてである。当団は、オープニングコンサート「1900年から2004年 日本105年合唱史」に出演した。参加団員は44名。

 

北とぴあ合唱フェスティバル

北とぴあ合唱フェスティバル

第4回 2003年(平成15年)  5月25日 北とぴあ・さくらホール

このフェスティバルは、日本合唱指揮者協会が主催するもので、毎年5月下旬から6月上旬に掛け て3日間にわたり、北とぴあにて催される。比較的歴史は浅いが毎年テーマを定めて開催 される。 当団が参加した第4回のテーマは「リーダーシャッツ21」出版記念コンサートであっ た。このフェスティバルに職場の合唱団が参加するのは、当団が初めてであることは特筆すべきではないだろうか。

 

日本産業音楽祭(関東大会)

第10回 1965年(昭和40年)  9月25日 共立講堂
第11回 1966年(昭和41年)  9月25日 共立講堂
第12回 1967年(昭和42年)  9月24日 共立講堂
第13回 1968年(昭和43年)  9月23日 共立講堂
第20回 1975年(昭和50年)10月  5日 産業文化会館(川崎)
第23回 1978年(昭和53年)  9月24日 産業文化会館(川崎)
第24回 1979年(昭和54年)  9月16日 産業文化会館(川崎)
第25回 1980年(昭和55年)  9月  
第26回 1981年(昭和56年)  9月27日 日本青年館
第34回 1989年(平成 元年)  9月24日 日本教育会館
第35回 1990年(平成  2年)  9月30日 日本教育会館

この音楽祭は日本産業音楽祭委員会が主催していたもので、特長は、その名の通り、合唱だけでなく、吹奏楽、軽音楽、弦楽合奏、邦楽などの部門があることである。名称は当初日本産業音楽祭関東大会と称していたが、30回から単に日本産業音楽祭と称する事になった。

音楽祭ではあるが、一応表彰制度があり、最優秀賞と優秀賞がある。受賞団体数を含め受賞基準が特に設けられているわけではなく、そのときの講評者のさじ加減で決っているようである。当団もこの両方を受賞している。当団は、第10回大会に初参加して以来、都合11回参加している。第1期は第10回から13回まで4回連続出場、第2期は7年後の第20回から第26回までの5回、そして第3期は8年後の第34回から35回までの2回である。それ以後参加しなかったが、調べによると、この音楽祭は2006年の第50回記念演奏会を最後に終演したようだ。

東京都合唱コンクール

第22回 1967年(昭和42年10月  8日) 共立講堂
第23回 1968年(昭和43年10月20日) 共立講堂
第24回 1969年(昭和44年10月12日) 共立講堂
第25回 1970年(昭和45年10月11日) 共立講堂
第26回 1971年(昭和46年10月10日) 共立講堂
第28回 1973年(昭和48年10月14日) 共立講堂
第38回 1983年(昭和58年10月10日) 日本青年館
第57回 2002年(平成14年  9月28日) 文京シビックホール

合唱コンクールには、主催者の違いによりいろいろなものがあるが、職場合唱団が参加できるコンクールのうち、一番レベルが高いとされているのが、全日本合唱連盟東京支部が主催するこの東京都合唱コンクールである。

1964年(昭和39年)に、プロの指揮者を招聘して以来3年が経過した1967年(昭和42年)(第22回)に、コンクール挑戦の機運が高まり初参加。以来、第57回までに8回参加している。成績は、第24回において、第2位の成績を収めたが、それ以外は目立ったものは無い。6回目まではほぼ毎年参加していたが、次の7回目までは実に10年が経過している。そしてさらに19年経過した2002年に、団の体勢が整い、上向きになってきたので、ようやく8回目の参加となった。昨年参加したことにより,当団の歴代指揮者のうち、鹿島、島田、佐伯、島村,渡部,清水の6先生が,一度は参加したことになる。

職場の合唱団は、その数、団員数において、年々減少の一途をたどっており、参加団体も最近では、4、5団体にとどまっている。ここで1位になれば東京代表として、全国大会に出場できることになっている。また、この部門の参加資格は、当然のことながら、同一の企業に属する社員のみにて構成されることになっていた(指揮者、伴奏者は除く)。しかし、今般この条件を満たしている職場合唱団は皆無と思われるので、平成15年より当該会社の関連会社や退職者およびそれに準ずる者などを含 めても良いことになった。

都民合唱コンクール

第41回 2000年(平成12年)10月15日 東京文化会館・大ホール

このコンクールは、(財)東京都歴史文化財団、東京文化会館、東京新聞の主催により、東京文化会館で、毎年秋に行われている。特長は、合唱団員の数により少人数の部は小ホールで、大人数の部は大ホールで演奏されることである。又部門による区分は無く、一般、職場、大学などすべてが同じ基準で審査される事も大きな特長といっていいだろう。

当団は第41回に初参加し、大ホールの部で26団体中5位という目標どおりの成績を収めた。

当日は、常任指揮者である清水昭先生が、小ホールの部で審査員を行っており、ピンチヒッターとしてボイストレーナーである柚木明美先生(当時)に指揮をお願いした。柚木先生としては初めて の指揮であったという。

全国産業人合唱フェスティバル

第  8回 1965年(昭和40年  6月13日) 日比谷公会堂
第10回 1967年(昭和42年  6月18日) 東京文化会館
第12回 1969年(昭和44年  6月15日) 東京文化会館
第15回
同全国大会
1972年(昭和47年  6月25日)
1972年(昭和47年  7月  9日)
渋谷公会堂
大阪厚生年金会館
第16回 1973年(昭和48年  6月17日) 渋谷公会堂
第18回 1976年(昭和51年  7月11日) 厚生年金会館
第20回 1978年(昭和53年  7月  2日) 厚生年金会館

このコンクールは全国文化団体連盟(全文連)の傘下にある全国各地の音楽文化協会(音協)が主催するもので、当初は「産業人合唱コンテスト」と称していたが、第11回からは「全国産業人合唱コンテスト」と改称し、さらに第13回からは「全国産業人合唱フェスティバル」と改称した。当団としては第8回から、ほぼ隔年ごとに7回の参加となった。

なかでも、第15回において東京都ブロック大会にて見事優勝し、全国大会に出場したことが特記される。全国大会は例年東京で開催されていたがこの年に限っては全国大会が大阪で開かれ、当合唱団としては創立以来初の地方遠征となった。現在では三店交歓演奏会が定例化されたので、3年に一度ずつ、大阪と名古屋への遠征が行われている。このコンクールも徐々に参加団体が減少し、第20回からは地方のブロック大会が廃止となり、いきなり全国大会という形になった。しかしそれもわずか3年で終了し、昭和55年の第22回以降開催されなくなった。

また、このコンクールには、大阪の丸紅混声合唱団(当時)も参加しており、第15回の全国大会、及び第20回の2度にわたり、東西競演となった。

東京都合唱祭

第77回 2022年(令和4年7月24日) 第一生命ホール

この合唱祭は、東京都合唱連盟が主催する行事としては、最大のもので、80年近くの歴史があり、毎年約300団体が参加し、4日間をかけて行われる。今回は当団として初参加となった。