第 1回 | 1962年(昭和37年)10月 3日 | 日本相互銀行ホール |
第 2回 | 1964年(昭和39年)12月 8日 | 大和証券ホール |
第 3回 | 1966年(昭和41年) 2月17日 | 大和証券ホール |
第 4回 | 1967年(昭和42年) 1月14日 | 大和証券ホール |
第 5回 | 1968年(昭和43年) 3月11日 | 農協ホール |
第 6回 | 1969年(昭和44年) 3月13日 | 日経ホール |
第 7回 | 1970年(昭和45年) 3月26日 | 日経ホール |
第 8回 | 1975年(昭和50年) 6月 5日 | 千代田公会堂 |
第 9回 | 1977年(昭和52年)12月10日 | ヤクルトホール |
第10回 | 1980年(昭和55年) 6月 5日 | 日本教育会館(一ツ橋ホール) |
第11回 | 1981年(昭和56年)11月20日 | ルーテル市谷 |
第12回 | 1984年(昭和59年) 3月 4日 | 日本教育会館(一ツ橋ホール) |
第13回 | 1987年(昭和62年) 2月28日 | abcホール |
第14回 | 2001年(平成13年)10月20日 | 江戸川区総合区民ホール |
第15回 | 2005年(平成17年) 2月17日 | タワーホール船堀 |
第16回 | 2006年(平成18年)10月 7日 | 杉並公会堂・大ホール |
第17回 | 2008年(平成20年) 5月31日 |
ティアラこうとう・大ホール |
第18回 | 2011年(平成23年) 9月17日 | 杉並公会堂・大ホール |
第19回 | 2013年(平成25年) 9月21日 | 杉並公会堂・大ホール |
第20回 | 2016年(平成28年) 5月14日 | すみだトリフォニー・大ホール |
以上が一応演奏会ということになっている。順を追って検証してみよう。
そもそも演奏会の名称には、定期演奏会、演奏会、発表会などがある。定義ははっきりしないがいずれも単独で行う事が原則である。当団の演奏会においてもこの3つが使われている。
第1回から第5回までは、マンドリン部、琴部、ハワイヤンバンド部などとのジョイントの形で行われ、名称も発表会(第4回は音楽祭)になっている。ここ迄は、ジョイントなので、演奏会の回数に数えない方がよいかもしれない。入場料は無料であっただけでなく、入り口で、アイスクリームや牛乳をただでもらえた。有料にしようとしたら、経費は全部相互会の予算から出すので、無料で行うようにとの指示があったのを覚えている。
第6回にして漸く単独で、有料の発表会を開くことができたが、全くの単独で行うには力不足で、賛助出演(沖電気工業混声合唱団)を仰いでいる。入場料は100円であった。第7回もほぼ同様な形で行われたが、ここから名称が演奏会になった。
第8回から第13回までは、どうにか単独で3年以内に1度というペースで、開催された。名称も第9回はSaturday Night Concert となっており、第11回からは定期演奏会(第12回、第13回は英文でRegular Concert)となった。入場料は500円であった。この辺は、定期演奏会と呼べるかも知れない。
ところが、ここから長期低迷期に入り、途中丸紅設立50周年記念演奏会で盛り上がったものの、演奏会を開くまでには、実に14年の歳月が必要であった。それ以降現在までは順調に推移し、第17回を数えるに至っている。第16回、第17回はサブタイトルがついている。入場料は、第14回以降1,000円になっている。
演奏会に合わせて、第8回のときには、女声がドレスを、第9回のときには、全員がブレザーコートを、第15回には、その3年前の東京都コンクールに出場のために新調した、ユニフォームを着用した。